クラシックは、欲望の連鎖によって生まれた。

クラシックは、欲望の連鎖によって生まれた。

「一生物」や「クラシック」という言葉は、ファッションの宣伝文として広く知られている。
一つのものを長く愛用することができたら、それは環境にも社会にもポジティブな消費と言える。けれど、流行は常に移ろうから、”一生物なんて存在しない”という声もある。この連載では、メンズファッションのバイヤーとして数多くの服を見て、仕入れて、届けてきた金子恵治さんとともに「100年先に残るクラシック」について寄り道と脱線をしながら考えていく。
第一回は「未来に残るクラシックとは何か」という問いかけから始まる。答えはシンプルで、欲望を喚起し続けるものが残る、というものだった。


日本一の”買う人”が作った、服を見るための席

南青山の瀟洒なアパート。まだ新築の匂いがするような絨毯ばりの階段を上ると、金子恵治さんのアトリエに辿り着く。服が大量ーーというわけではなく、空間は整然としている。壁面にはガラス戸のついた特注のラック。その正面に一脚の椅子。一見すると用途のわからない、不思議な空間だ。

「変ですよね(笑)。最近、ここに座って自分の持っている服を眺めているんです。服を積んで分類してみたりして。服はあくまで着るもので、コレクションの感覚は薄かったのですが、こうして眺めることで、一つひとつ大切にできるようになったというか。着るものもあまり着ないものも区別せず並べて眺めることで、自分が今どういう気分なのかつかめるんですよね。」

金子さんはこれまで数十年に渡りバイヤーという仕事を通して、ありとあらゆる服を見てきた。パリの展示会を回り、フランスの蚤の市でヴィンテージウェアを探し、時にはアメリカの少数民族の町へ足を運んで独自の製法の帽子を手にいれた。文脈と服をワンセットで日本に持ち帰って、それを販売する。その過程には選ばれなかった服が無数にあり、選ばれた服だけがお店のラックに並ぶ。いわば、日本国内で「服を選び続けて、届けてきた」人のひとりだ。セレクトショップ・エディフィスのバイヤーとして渡仏した20代の金子さんはフランスのワークウェアやミリタリーアイテムに着目。当時、現地では誰も振り向かないような「ゴミにもなり得るようなもの」に確かな魅力を感じたという。

「かつてバイイングという仕事は情報が非対称だから成立するものでした。日本にはない文化、製法、歴史。海外ではありふれたものでも日本人である私にとっては大きな魅力がある。フレンチワークはまさにそういうカテゴリでした。私だけが注目していたというわけではありませんが、ずっと好きなもので、たくさん買い付けてきましたね。」

メルカリで値段がわかり、AIがなんでも答えてくれる現在とは異なり、フレンチワークという言葉すら日本国内に浸透していなかった時代。フランスのヴィンテージウェアを日本に持ち込むことでカテゴリー自体が形成され、スタイルとともに根付いていった。他にも金子さんがバイイングしてきたのはオロビヤンコ、クリストフ・ルメール、アントワープシックスに名を連ねるブランドなど数限りないが、展示会の真ん中にあるような売れ線のブランドだけではなく、個人的な興味と社会の空気を境界なく行き来しながら、一歩先のセレクトを続けてきた。そこには単純に言語化できない複雑な判断のレイヤーが絡み合っている。

クラシックとは、欲望を喚起し続けるものだ

そんな金子さんに名品として思いつくものを持参していただいた。その一つが、JMウェストンの180。ジョンロブのロペスが個人的に一番好きというが、クラシックなローファーはこちらだと断言する。

「基準値を作ったブランドは残りますね。例えばリーバイス501。ブルックスブラザーズのボタンダウン。エルメスのケリー。フィルソンのマッキーノジャケット。そしてJMウェストンのローファー。これらに共通するのは、誕生した瞬間からすでに完成していたこと。生まれた理由に純度があるんです。リーバイスは炭鉱作業に耐えうるワークウェアとして。エルメスは馬具職人の技術から。それぞれ必然的な文脈があり、それを長く伝え続けるブランドという箱があり、それらを「欲しい」と思い受け取る人たちがいる。クラシックとは、立場の異なる人々の間の感情の循環によって生まれるものなのだと思います。」

翻って、マーケティングで生まれたブランドはコピー可能な物語しか持たず淘汰される。残るのは、コピーできない物語を持っているものだけだ。

「たとえば、バッファローチェックのマッキーノジャケット。フィルソンの名品は、1914年に生まれてから現在まで愛用され続けています。赤と黒のチェックは森の中で猟銃の誤射を防ぐため、視認性を重視して採用されたもの。現行の商品の佇まいがヴィンテージにも負けないムードを持っていて、ブランドには代替不可能な物語性や歴史が必要なのかもしれません。一瞬の流行は作れるし、わかりやすい記号は真似しやすいけれど、買うこと・見ることを長く続けていると、それだけでは納得できなくなるんです。」

言い換えれば、クラシックとして愛用されるものの特性は、時間が経っても欲望を喚起し続けることと言える。501は、長い歴史の中で常に「欲しい」という感情を喚起し続けている。クラシックの正体は、明確な中心線がありながら、社会や人の変化の中である種の可変性を持ち、変動する欲望を受け止める懐の広さを持つのかもしれない。

王道の隣にあるものへ

この日、金子さんが持参したアイテムの中には、Leeの101Zがあった。1960年代に生まれたヴィンテージ・デニム。501が「直球」なら、リーは「直球の横にあるもの」だと金子さんは言う。カウボーイのために作られたという出自を持ち、ブーツを履くための設計が随所に残る。汎用性という点では501に劣るが、ジャケットと合わせた時のシルエットの美しさは、501にはない何かを持っている。

「ヴィンテージの高騰の中でも、Leeの101Zは比較的手に取りやすい。ファッション性が高く、どこか洒脱なシルエットが今の気分にフィットします。変化する気分に合致したり離れたりしながら、いつまでも愛される。それもまた名品の条件なのでしょう。直球の横にあるものに目を向けるって面白いですよね。それが次のクラシックになり得るものだし、王道とその次に来るブランドは、相互に影響を与え合っているんだと思います。そうしてジーンズというカテゴリー全体が豊かになり、501は王道であり続ける。クラシックは一つのブランドや商品が孤立して存在するのではなく、周辺のブランドやスタイルとの関係の中で、より強固な王道たり得るのでしょう。」

Kodakの企業プリントが施されたヴィンテージTシャツは、プリントそのものも魅力的だが、ヘインズのボディが理想的だと金子さんは語る。リブの太さや洗濯を繰り返して辿り着いたコシの抜けた生地感が、Tシャツらしさの象徴。これは一番いい時代のものだそう。ヨレていて、形が歪んでいる。それでも、金子さんの頭の片隅に「Tシャツの基準」として常にあるもの。

「Tシャツを作ることも多いのですが、本当に様々なブランドがあります。ただ、これに関しては理屈ではなく、自分にとっての偏愛的な基準だと思っています。Tシャツは極めてシンプルかつ日常的な道具で、流行の中で変化はあるのですが、ヘインズは常に頭の片隅にあるもの。元祖であり完璧だと思います。」

クラシックとは最初からほとんど完璧に近いもの。しかし同時に、手に取った人の「欲しい」という感情の連鎖によって完成するものでもある。

誰かが欲望し、手に入れ、使い込み、また別の誰かがそれを見て「欲しい」と思う。

その連鎖の中でスタイルが作られ、歴史が生まれ、点が線になり面を作った時、100年続くクラシックが生まれるのかもしれない。